戦国時代に松永久秀とバチバチやっていた筒井順慶が築城に着手し、豊臣秀吉の弟である秀長によって大きく拡大して建てられたという大和郡山城は「続日本100名城」!?
そうなると全部で200名城にもなるわけで、モンドセレクション以上になんともあてにならなさそうな予感。一方で郡山城は良かったから行ってみてとオススメされた経緯もあるので、いろいろ確かめる意味でも突撃だ!
駐車場
ややわかりづらいですが追手門横に無料駐車場が8台分ほど用意されています。
追手門から攻略開始
城跡一帯は公園となっているので出入りは自由。
堀の外側
水の量は少なめで、これが戦国時代なら堀の役割を果たせていない!?向かうはあの天守台です。
堀沿いを進んで行くと・・・
!!
かつて奈良で時の人だった伝説のヒーローではありませんか!?
入城
城の西側から堀の内側へと侵攻します。石標に記されているので続日本百名城であるのは間違いない!
柳澤神社
初代郡山藩主・柳沢吉里の父であり、5代将軍・徳川綱吉に重宝された側用人の柳沢吉保を祀る神社。元々は堀の外側にあったものが明治期に内側へと移築されたもの。
天守台
柳澤神社の境内を抜けた先にあるのが2017年に完成した郡山城天守台展望施設。
4年をかけた再整備で積み直した石垣は当時のように野面積みです。しかし綺麗すぎて若干ありがたみに欠ける気がしないでも。
天守台からの眺めです。360度展望できるものの眺望が良いとまでは言えず、追手門の方角た唯一見晴らせるという感じです。
さかさ地蔵
郡山城跡で一番の見所は天守台の北面石垣にある「さかさ地蔵」でしょう。
穴の中を覗いてみると、頭から突っ込んだ形になっているお地蔵さんがあるのをおわかりになりますか?
わかりやすいように写真を回転&ズームにしてみましょう。お地蔵さんの顔がわかりますよね?
郡山城の石垣はこのように寺院の礎石、石塔、石仏などさまざまな転用石材を用いて造られました。
なぜ地蔵や石仏まで!?
それは豊臣秀長による大規模築城の際に急いで石材をかき集める必要があったためというのが理由ですが、寺院の弱体化を狙っての強引な石材徴収という側面もあったそうです。
こんな感じの郡山城跡、続100名城はいかがでしたか?自分としてはモンドセレクションと同じくらいかなー。特別良いというわけではありませんが、勉強のつもりで行くならば…まぁ101番目以降なので観光としては軽い気持ちで!
郡山城跡 | |
住所 |
奈良県大和郡山市城内町2-255 |
営業時間 |
10月~3月|7:00~17:00 |
料金 |
無料 |
所要時間 |
30分 |
駐車場 |
無料 |
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